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寺院明細簿にみるコ藏寺 明治新政府が樹立されその基盤が確立された8年から12年(1875〜9)にかけて、
新政府は全国の寺院から『寺院明細簿』を提出させました。境内地を官有地としたうえで、各寺院の 財産調べが行われたわけですが、その是非はともかくとして、寺史の調査の上では貴重な資料となって
います。
当寺の『〜明細簿』は明治10年(1877)9月、元海大和尚によって提出されており、明治 九年に住職となった元海大和尚が、わずか1年で再建への第一歩を、大きくふみ出していることがわかります。
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『寺院明細簿』(都立公文書館所蔵) |
なかでも特筆されるべきことは、文政年中(1818〜29)に4畝27歩(約422平米)であった寺領地が、2反2畝26歩(約2.200平米)と大幅に増加していることです。
この頃、檀信徒によって開墾された田畑の多くは、新政府によって寺院に下賜されており、当寺の寺 領地も檀信徒の労力の布施によるものでしょう。ほかに、本尊阿弥陀如来 壱躯、両脇観音勢至
弐躯、地蔵菩薩 六躯、三途老婆 壱躯、閻魔法王 壱躯、誕生銅仏 弐躯などをはじめ半鐘、過去帳 にいたるまでが克明に列記され、これらの記述は、コ藏寺が檀信徒家と信仰という深い絆でしっかりと
結びついていたことを如実に物語っています。
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